プロフィール

モダンミステリースクール公認ヒーラー
ルナグーフォ in 二子玉川代表 伊藤正恵 伊藤芳明 

Masae


初めまして。自己紹介の年表です。


10代 

マンドリン部活に夢中。早く親元を離れたくて就職率のよい短大へ内部推薦で入学。


20歳 

短大を卒業し、栄養士の資格を取得。大手生命保険会社に就職。


21歳 

芙蓉グループ機関誌の表紙モデルになる。


25歳 

同期入社のよっしーと結婚。つきあうきっかけは、社内のテニス部。 

バイオリンを習い、当時住んでいた国立市民オーケストラに加入し、一橋大学の講堂でのコンサートも経験。


30歳 

長女出産。


35歳 

何十年と塗り続けていたステロイドを止め、リバウンドで全身アトピーに。西洋医学では治らないと悟り、スピリチュアルな世界に興味をもつ。あるヒーラーに通い続け、一時的にアトピーは改善したものの、その力に疑問をもち、卒業。

40歳代 

金銭的に恵まれ働く必要はないにも関わらず、自分で仕事をすることにこだわり、様々な仕事を経験(生協の野菜担当、地図の会社のバイト、歯医者の助手&受付など)。

音楽の専門学校にも入学し、子どもの頃に習っていたピアノを本格的に勉強し直し、卒業。


50歳 

6年ほどカルチャーセンターで教えていたピアノを自宅で教え始める。


56歳 

ある人からチャネリングの形で「近いうちにイニシエーションを受ける」と告げられて、何だろうと思っていたら、古い友人から占星術師(MMSのガイドさんだった)を紹介された。訪ねてみたら「イニシエーション」という言葉に再会、アデプトプログラム受講を即決。HA1、RM1、エンソフィックレイキ、HA2、RM2 と立続けに受講。


58歳 

MMS公認ガイドとなる。


このように、幼少の頃よりのアトピーを除き、何不自由ない生活にみえるも、心の中はいつも満たされない、何か言いようのない不満でいっぱい。何をしたら私は満足できるのだろうか?といつも考えていた。


アデプトプログラムに出会い、私のスピリットに火が付き、導火線が速度を増して燃えて行くように、次々と各種プログラムを受講。ヒーリングも色々と受けて、気付いたらガイドになっていた、という感覚。

アデプトプログラムは、満たされない心を好奇心と情熱と無限の可能性で満たしていく第一歩。

多くの人々にこのことを知っていただき、アデプトプログラムを受講していただくのが、私のミッションの1つです。



モダンミステリースクール公認ガイド、ヒーラー 伊藤 芳明


初めまして!「よっしー」と呼んで下さい。


まず好きなもので自己紹介!

・猫と日本犬が好き ・得意分野:有名人と偶然に会うこと ・好きな歌手:松田聖子

・最高に感動した音楽:「マーラーの交響曲第9番」(特に第4楽章) ニューヨークフィルのコンサートで聴き、物凄く感動した!

・最高に感動した絵:ゴーギャンの「我々は何処から来たのか、我々とは何者か、我々はどこへ行くのか」 ボストン美術館で本物を見た!

 

出典


・メトロポリタン美術館で最も好きな絵:ルパージュの「ジャンヌ・ダルク」 何度もメトロポリタン美術館を訪れたが、不思議な魅力のこの絵が最も印象に残った!

出典

出典に「神のお告げを知らせた幽霊のような聖人が描かれている」とあるのは、絵を四等分した左上に描かれている宙に浮いた3人で、大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタです(ウィキペディア「ジャンヌ・ダルク」より)。


≪ 簡単な自己紹介 ≫

大学で専攻した数学を活かせる金融業界に就職し、専門資格、MBA等を取得、転職も2回。

その間、単身赴任、子会社設立、ニューヨーク勤務等、様々な経験を積んできました。

一見、成功したように見えても心からの満足は得られず、人間関係人事評価で悩むこともありました。


が、しかし…。2017年にアデプトプログラムを受講し、モダンミステリースクール(MMS)での学びを始め、

ヒーリングやDivinationを受けて、2021年には公認ガイドとなってしまいました!自分でもこの変化に驚いています。


自分の求めてきた成功は、所属する会社の中、あるいはせいぜい業界の中での成功(昇進と昇給)に過ぎなったと

今では実感しています。海の広さ、地球の大きさ、宇宙の広大さに比べたらなんとちっぽけなことか!


現在は世界平和活動の一翼を担い、自分の本来のミッションを解明しながら、MMSで学んだ様々なツールを使って、

皆さまの悩みの解決や真の自己実現をサポートさせていただいております。


≪ プロフィール詳細版 ≫

1. 子供時代

山形市の兼業農家に3人兄弟の長男として生れ育ちました。2人の弟がいて双子です。

田植え、稲刈りなどの農作業を手伝ったりしました。近くの中学校の校庭が遊び場で、飼い犬のコロと存分に走り回ったり、近所の友達とソフトボールを暗くなるまでやっていました。飼い猫も一時は数匹いました。


どうして自分は首都・東京でなく、山形市に生れたのか?運命は決まっているのか?死後の世界はどうなっているのか?宇宙の果てはあるのか?etc. 色んな事を時々、考えていました。


2. 青年時代

高校で宇宙的な感じのする数学に興味を持ち、大学では数学を専攻しました。就職は、田舎に帰り高校の数学の先生になるより、広い世界で働きたかったので、数学を活かせる生命保険会社の専門職を選びました。


ところが専門職団体の試験では苦労し、全科目合格まで当時の平均では7、8年のところを10年も費やしてしました(-_-;)。自分のやる気が一番の原因でしたが、労働環境、人間関係などの悩みもあり、算命学の先生に度々相談しました。


勉強の環境を整えてくれた妻には感謝しています。最後の試験前には娘が生れ、良いことが重なりました。


算命学の占いの通り、運勢が好転し始めました。

・社内の留学制度でMBA(経営学修士号)を目指すことになり、新潟県浦佐にある大学院に2年間留学。成績優秀賞を受賞。

・生命保険業界全体の仕事を任されることになった。

・留学時代の学業をベースにして論文をいくつか執筆し、専門職団体の論文誌等に掲載され表彰。

・専門職団体の国際会議(英国バーミンガムに於て)に妻子帯同で出席、その後の北欧旅行も満喫。

 バーミンガムではテニスの杉山愛さんと同じホテルで、一緒に写真を取った(^^♪)。

・会社の新規大型プロジェクトのメンバーに選任。


3. 転職を決意

ところが、新規大型プロジェクトが鬼門となりました。英国ロンドン近郊への出張もあり、仕事自体は面白かったのですが、人事面の不満とそれに起因する人間関係の悩みがありました。上司に相談しても埒が明かず、外資系コンサルティング会社(その後、親会社の監査法人に吸収合併)に転職しました。

給料は大幅にアップし、ニューヨーク・オフィスへの転勤、帰国後はチームリーダーに昇格し、グローバルチームの日本メンバーとしてロンドン、チューリッヒ、ニューヨーク等での会議に飛び回りました。


しかし業務も大幅に忙しくなり、採用しても余りの忙しさに退職して、なかなか人員を増やせず、年間でフルに休めるのが2、3日しかない状況が2、3年続いたと思います。昼頃から休日出勤したものの、ひどい頭痛のため家に帰り、寝込むこともよくありました。私のチームは少人数にもかかわらず、部門内でトップクラスの利益を出していましたが、人員が定着しないことに対して上層部の理解が得られませんでした。


4. 再度の転職

リーマンショックや会計士のダブつきで監査法人が給料・ボーナスカットを行ったことや、私の体のことを心配した妻の勧めもあり、外資系の特殊な保険会社に転職しました。専門職の資格保持者は需要より数が少ないため、転職先には余り困りませんでした。


5. スピリチュアルとの出会い

最初の転職の2、3年前あたりだったか、とある霊能者との縁ができ、悩み事の相談やヒーリングでお世話になるようになりました。転職後は激務だったので、毎週、休日にヒーリングをしてもらい、休日出勤をしていました。ヒーリングは、主に肉体的なストレスを取るものでした。悩み事については、その霊能者がつながっている宇宙の存在と交信してメッセージや解決策を聞く、というものでした。一定の効果はありましたが、パワーの伝授やお守りのグッズなど段々と高価になっていき、2回目の転職後は業務が前と比べてかなり楽になったので、霊能者とは縁を切りました。


6. アデプトプログラムとの出会い
その霊能者にかなりお金を費やしたため、そっち関係はもういいや、と思っていましたが、妻の勧めでアデプトプログラムを受けてみることにしました。


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